先輩file,1 阿部公彦先生 明道中学・台湾

皆様、はじめまして。台湾の明道中学という中高一貫校で働いている阿部と言います。

浅見くんとは彼の恩師、大阪水都国際中学校の熊谷先生から紹介を受けました。(熊谷先生との出会いはチノメザメのほうをご覧ください)

今回浅見くんが日本語教育に関わり始めた方のためにブログを始めると聞き、ぜひ何か手伝わせてほしいという事で記事を書かせていただくことになりました。それで何を書こうか結構悩んだのですが、なぜ自分が日本語教師を続けられているのかという事について書きたいと思います。

海外で働く

かれこれ台湾に来てもう20数年日本語を教えているわけですが、ずっと日本語教師を続けていこうと言う気持ちは当初ありませんでした。海外に旅行に行き、いろんな人と出会って楽しかった反面、現地の人にはお客様扱いを受けているのに、どこかそれでその国の事がわかったつもりになりそうな自分がすごく嫌だった、海外で働きたいと思ったのはそんなたいしたことない理由からでした。でも何も考えず、ぽんっと海外に出て行くのは臆病な私にはできることではなく、海外では仕事が見つけやすい上にビザも下りやすく無難に海外で働くには日本語教師が一番だったというのが、この仕事を選んだわけでした。

運を引き寄せる

そういうわけで、もともと日本語教師という仕事に特に思い入れはなく、何年か海外で働いた経験を積んだ後、日本に帰ろうかとも考えていました。結局は今も日本語教師を続けているのですが(笑)。 はまってしまった理由はいくつかありますが、一番は工夫のしようがいくらでもあること、自分のスタイルに合わせた方向で努力が続けられる事、なによりそれが楽しいということだと私は思っています。また頑張れば頑張るほど感謝されるというのもやめられない理由の一つです。

とは言え私と同じような状況にあったのに、日本語教師をやめて帰国し他の仕事に就いた人もたくさんいました。もちろん私にもそんな選択肢があったのかもしれません。でもどうしてこうやって続けてられるのか考えると、結局ただ単に運がよかったからなのかなあと思うんです。マンネリになりそうな時、新しい仕事のプレッシャーに潰されそうになった時もありました。働いていたところが潰れたり、仕事が減ったりなんて時もたくさんありました。でも、その度うまい具合にいろんな人に助けてもらって何とか乗り越えてきました。こうやって振り返ってみると運のおかげ、皆さんのおかげと言うのが1番大きかったと思うのです。

でも、それをただ待っていたわけでもないと思うんです。相手の迷惑を顧みず面白がって、たくさんのところに飛び込んでいったからこそ、様々な教えを受けたり助けてもらったりする事ができたんだと思います。改めて考えると私って自分でもびっくりするぐらいたくさんの人に教わっているんですよ。私は熱意だけで他には何もなかったと思うのです。いろんな先生と話していて、かなり的外れなことやトンチンカンなことも言い、相手を困惑させたことも数知れずありました。でもたくさんの先生はやさしく受け入れてくださり、いろんな事を教えてくださいました。それは知識だけではなく新しいチャンスや、考え方、態度など本当にたくさんのものが含まれていました。 これは私の本当に大切な財産になっています。そして今まで教師を続けて来るための大きい原動力となっています。

最後に

日本語教育に関わっていこうと思っている皆さんには、たくさんの人に会ってお話を聞くのをためらわないで欲しいのです。このブログの管理人、浅見くんのように「こんなブログ始めるんです。どう思いますか?」とか「こんな事やってみたいんですが、どうでしょうか」と話しかけてもいいでしょう。困っている事があって相談するのもいいでしょう。きっと熱意がある人には誰もが真摯に話を聞いてくれる、アドバイスをくださると思うのです。皆さんはどう思われますか。

いつもツイッターに思ったことを書いています。https://twitter.com/jptwabe またそれが長くなりそうになると、ブログに書いていますのでもしよろしければご覧ください。https://tanoshikuoshieru.blogspot.com

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